カバラの術について 3-17

 
 そして哲学者たち、さらに彼らの中の第一人者である逍遥学派らは、これを証明しています。あらゆる天の圏には、自らの本質的な形の他にも、傍にいて、それを円状に動かしている知性体を持っているからです。この知性体は天使と呼ばれています。天使はこの任務のために派遣されているからです。天使は意志と理解を持ち、その中では創造主の命令に満たされ、神と自然との中間にある力のようなものです。天使によって、自然物が自らの性質では全く行えなかったり、そのようには行えない働きがなされます。そのような働きは、隠された性質や、天に定められたプロセスに従って行われることが多いからです。

 諸天や星々の動きは自然によって円形に行われますが、東から西への動きや反対側の動きは、自然ではなく意志の働きです。天使にはこの自由意志がありますが、一方で自然は固定された本能のみに閉じ込められています。そのため自然は常に同じやり方で働きますが、天使は天球を常に同じように動かさず、そのためこれらの低位の領域での変化は、常に同じようには起きないのです。天使の状態は物質的なものへの最大のフォースと力を帯びており、それがマイモニデスが証言しているように、形の根源である能動的知性が天使と呼ばれる理由です。この天使〈のトップ〉は「宇宙の支配者」と呼ばれ、我々の賢者たちはそう述べ、「メタトロン」と発音します。この天使は全ての人間、動物、自然の諸力を支配しています。これらは全て天使と呼ばれ、多数おり、我々の観点からは無数ですが、創造主の観点からは固定された数であり有限です。

 この天使について「ベレシート ラッバー」の書の中で、創造主は日々、天使の集団を造り出すという記述があります。そして、一部の者らはこれらを形と呼んでいます。なぜなら、これらは形式的な形質であり、その下には無数の創造されたもの、腐敗が可能なものが属しているからです。

 あなた方の友のヘシオドスも、似たような伝統について知っていました。彼は「仕事と日々」の中で、「大地の多数の生き物の上には、大神ゼウスの配下の3万の不死者がいる。これら不死の管理者は正義と悪の行いを監視し、風を身にまとい、大地全ての上を飛び回っている」と述べているからです。

 似たようなやり方で、ラビ アッシが自らの編纂書で引用している「ミドラーシュ タンフマー」によれば、人の中にある意志の2つの力は、2体の天使、「善の創造者」と「悪の創造者」として表されています。同様に、ラテン語の著者たちも、ヘシオドスの肉体を世話している守護者らを霊(スピリトゥス)として引用しています。

 これらのうち、低位の領域の問題の世話をする任務を割り当てられている者らは、我々にはマモナあるいはマモンと、ギリシア語ではダイモーナやダイモーンと呼ばれています。ダイモーンといっても、悪しき存在だと暗に述べているのではありません。ダイモーンはラテン語のダイモニウム(英語のデーモン)と同じ生き物ではありません。この後者は私が信じるには、単純に弱い種類の神性であり、それゆえ神から僅かにのみ分離されています――もっとも、ホメーロスや古の他の著者たちは、この言葉を別の意味で用いていて、アプレイウスがソクラテスの神と翻訳した、ソクラテスのダイモニウムについて、彼らの多くは称賛し、良く評価していることを認めざるを得ません。

 ラテン語の著者が霊と呼ぶ現象、風に住む存在については、この習慣は我々ユダヤ人から来ており、我々はそれらをルホト(רוחות)と呼んでいます。ラビ テダクス レヴィは10のセフィロトについての著書の中で、四方の風の説明をした後に、この主題について「そして、これら四方の風のために、神は昼と夜を支配する四体の天使らを創造した」と記しています。

 さらに後の箇所で、この著者が記すには、ミカエルは寛容と憐れみの側に立ち、マモナ、すなわち昼や夜の東風の支配者です。同様にラファエルは西風を支配し、同じく寛容の側に立ち、一方でガブリエルは裁きと峻厳の力の側にあり、夜の半ばの北風と世界の2つの計測を支配し、ノリエル(ウリエル)は南風を支配しています。(これら全てはテダクス レヴィの説です。)

 そしてこれら天使の下には、「神秘の書」が挙げているように、多くの種類のものがあります。また「光の門」でも、「大地から天空まで空虚な場所はないので、そこには全て形に満ちている。それらの一部は純粋で、一部は寛容と憐れみを持つが、それらの下には多くの悪しき、有害な、誘惑するイメージがあり、全ては周囲を漂い、空中を飛んでいる。そして大地から天空まで空虚な場所はないので、全ては存在に満ちており、その一部は平和的で、一部は戦争を好み、一部は良きもので、一部は悪しきもので、一部は生のためにあり、一部は死のためにある。そしてこれら全ては、我々が住む低位の住居にいる」と記しています。これらはカスティーリャのヨセフ〈ギカティラ〉の言葉です。

 これらの淫らで恥ずべき悪魔、人類の敵、対立する諸力と呼ばれる存在について長く議論することは、我々の聖なる予定の部分ではありませんが、〈少し述べるとすると、〉これらは火の上位の部分の周囲を彷徨ったり、風の中で我々の近くを飛んだり、地上に住んで大地に恐怖を起こしたり、湖や川に住んで、しばしば海を大いに震わせたり、地下で時には攻撃したり、井戸や鉱山を掘ったり、地震を引き起こしたり、火が吹き出す風を刺激したり、建物の土台を震わせたりします。そしてこれらは光や輝きのある全てのものを避け、影に潜み、人類だけではなく獣をも悩ませ、音を出さずに〈テレパシー的に〉言葉を発しています。

 これらの諸力の策謀に対して、我々ユダヤ人の中には、自らがエキスパートだと信じる多くの者らがいて、彼らは聖なる神名や文字による、甘美な言葉によって善霊らを引き寄せ、また反対の言葉によって悪霊らを追い払うことが出来ることに疑いはありません。

 彼らは未来の危険に晒されている人に、とても薄い皮紙を持つように命じます。この皮紙は、その純粋の徳によって「ヴァージン」と呼ばれ、その純粋で無垢な性質は、身に着けた人も純粋となる前兆となります。それから彼らはこの皮紙に、「צמרכה」の文字を書き、さらに粗雑な部分である裏側にも「בוווו」のサインを書くように命じます。彼らはこのアミュレットを身に着け、神、世界の創造主への希望を堅固に持つ者は、悪人の策謀を恐れることはないだろうと信じています。

 彼らはこの神秘について、これらの文字は創世記の最初の5つの節のシンボルであり、カバラの術の第2の部分に従って、それらの最初の文字と最後の文字から取っていると説明しています (*1)

 コスタ ベン ルカは、自然のアミュレットは実際には自然に効き目があるのではなく、人々が「流産した胎児の小さな耳たぶを妊婦の首から吊るすならば、彼女はそれが首にあるうちは妊娠しない」と信じているように、経験によってのみ証明されると記しています。ですが全能の創造主が天地を創造する時に使った言葉をアミュレットとして用いたならば、それらに力が無いと誰が考えられましょうか? 我々ユダヤ教の人々は、偉大な教師ラビ アッセに多くの確信を持っています。彼は著書「セフェル ハ=ヤヒド」で、望んだものを求めたり懇願することで成功するのを望む者は、これらの言葉「אנקתם פסתם פספסים דיונסים」を書くことで、神の慈悲と憐みに自らを向けるようにせよと記しています。これらは聖書を思い起こすための価値のある言葉です。また他にも多くの似たようなものがあり、カバリストのほとんど全ての書物には、これらの内容に満ちています。

 他のカバリストたちも、様々なアミュレットを情熱的に集めています。それらも神聖な文字を用いていて、病気や他の問題と戦う時に適切に用いることで、その効力を証明されています。以下にその例を挙げましょう。ラビ ハマは著書「思弁について」の中で、4文字からそれらを構成した――というよりも、自らの先達が既に構成した伝統を紹介しました。これらは魔術ではなく厳粛で聖なる言葉であり、「יהוה אדני ייאי אהיה」です。このうちの3つは既に知っているでしょうが、「ייאי」はエルのカバラ的な同等物です (*2)。そのため、この術の達人たちは、第1の御名の最初の文字、第2の御名の最初の文字、第3の御名の最初の文字、第4の御名の最初の文字を取り、それらを合わせて、第1の印「יאיא」を作りました。それから彼らは、これら4つの御名の第2の文字でも同じように行い、「הדיה」を得ました。彼らは同様に第3の文字を全て合わせて、第3の印を造り、「ונאי」を生み出しました。最後に彼らは、同じようにして最後の文字を組み合わせて、第4の印「הייה」を得ました。これらの4つのサインの意味は「我らの神である主は唯一の主である」であり、そのためこれら4つのサインを共に合わせた、注記のようなものだと彼らは述べています。最後に、彼らは皮紙の背面に「アラリタ(אראריתא)」の文字を書いており、これは「一つ、その一致の始まり、その唯一性の始まり、その置き換えは一つである者」を意味します。これらの文字の置き換えは、カバラの術の第3の部分に従って理解することができます。

 それからカバリストたちは、これらのサインや銘と共に、いと高き神に対して献身的に立ち、特別な18の祝福にせよ、彼らの他の単なる祈りによるものにせよ、神の祝福を望み、確実な成功を望んでいます。そして彼らは、これらの聖なる言葉を唱えることで、天からの彼らに襲ってくる、あらゆる不幸を破ることができたり、アドラステイアー、すなわち不可避の神の法の力を和らげることができると確信を持っています。この術に熟練したカバリストは、文字や図形によってだけではなく、言葉や歌によっても、奇跡を働かせることができると信じているからです。

 あなた方ギリシア人も、この可能性について認めています。プロティノスは「魂への疑いについて」の第2の書の35章の中で、奇跡を働かせる力がある4つのものを挙げています。それらは、種の隠された質、図形、ハーモニー、祈りです。ポルピュリオスも同様に述べており、イアンブリコスは我々には低位の霊に対しての力を持っており、特に神を通じてであるが、良き天使らを通じても働かせられると述べています。

 そして世界中の人々の中でも、キリスト教の聖人ほどに、この意見に親しんでいる者らはいません。彼らは悪魔を祓うため、病人に手をかざして癒すため、繁栄に到達するため、重病を癒すため、その他のこの種の奇跡を働かせるために、言葉や図形を用いているからです。

 ですが――我が聴衆は私に同意しているので、私がここで真実を話すのは理に適っています――彼らは自らが話した言葉には幾らかの力があると認めつつも、これら全てを信仰によるものだと考える傾向があります。彼らは信仰の祈りは弱者を救うと、堅固な信念で述べているからです。良きカバリストたちも、彼らに完全に同意し、奇跡の働きは神と信仰によるもののみだと、同様に主張しています。そのため、マイモニデスが「迷える者への手引き」の第1の書の72章で主張しているように、彼らはそのような奇跡的な力は図形、書いたもの、線、自らによって空気を震わせて造る音によると主張する者らを、愚かしい嘘つきとして非難しています」


 

  • 最終更新:2023-03-22 15:06:09

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